ビールの復権
今日のドイツビールの歴史が本格的に軌道に乗ったのは、フランク王国の「カール大帝」が西ローマ帝国を再興した頃からと言われています。
ゲルマン民族を統一して大帝国を築き、800年にはローマ皇帝の王冠を頂き、絶対的な支配者として君臨しました。
大帝は帝位についた頃からカトリック教会を助け、修道院でビールを作り始めたとされています。768年、即位と同じ年に、フランク王小ピピン(カール大帝の父)による、聖ドニ修道院に作られたホップ園の記録も残されています。
大帝はビールをこよなく愛し、大盃でビールを大量に飲んだそうです。戦地での戦勝祝賀の宴では、勝利の美酒を率先して酔いつぶれるほどに飲み、それゆえ、生死を共にする兵士達からも慕われたとのことです。しかしながら、宮廷では別の顔となり、過飲するものには厳しく処罰を与え、禁酒を勧めたともいわれています。
いずれにせよ、カール大帝のおかげで、ローマ帝国からワインに対して下等な酒と言われ続けていたビールは、ゲルマン人の誇るべき酒としてその地位を認められることが出来ました。
また、詳しい由来は定かではありませんが、後のドイツでは「ガンブリヌス」という王をビールの神様として奉る風習が根付いています。
ホップビールの歴史
初めホップはビールの香味付けのための多々ある薬草の中のひとつに過ぎませんでしたが、徐々に主要な地位を占めるようになります。ホップの原産地は正確には不明ですが、西アジアの高原地帯ではないかと考えられており、それがスラブ人によってヨーロッパ、ゲルマンにも伝わったとされています。
ドイツ最古のホップ栽培は736年、バイエルンのハラタウ地域に初のホップ園が作られたという記録があります。ここは今でもホップの主要産地で、毎年秋には「ホップの女王」が選ばれています。
ホップを初めてビールに添加したのは、12世紀にライン河畔にあったルプレヒトベルグ女子修道院のヒルデガルディス院長と言われています。
彼女は尼僧であり、医師であり、ビール醸造技師でもありました。ホップをビールに添加するだけでなく、ホップの役割について記した著書も残しています。
ホップがビールの味付けに使われる前は、ハーブなどの様々な植物を混合した「グルート」と呼ばれる香味剤が使われていましたが、ホップがグルートに代わって独占的に使われるようになったのは、ホップの苦味がスッキリとして口当たりが爽やかなことに加えて、雑菌の繁殖を阻止する力があったためです。
13~14世紀にかけては、グルートが主流だったビール醸造者の中でも徐々にその価値が認められ、15世紀にはホップはビールにとってなくてはならないものとなり、ホップビールが広く飲まれるようになります。